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(5) カジモドはなぜ「反逆」したのか:四季版ノートルダム

様々に違いのあるノートルダム作品群ですが、4作品の中で原則的な共通項というものがあります。(**今からラストをネタバレします。ご注意ください**)

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↑ノートルダム大聖堂内

ジプシー娘エスメラルダを愛してしまったフロローは、自分を受け入れようとしないエスメラルダを死に追いやろうとします。しかし最後にはフロロー自身が死亡。アニメ版のみいわば「事故死」ですが、原作もフレンチ版も四季版も、フロローはカジモドによって殺されます。

しかし、カジモドが育ての親のフロローを手にかける理由はそれぞれ違います。何が違うのか、その違いの理由は何なのでしょうか。

四季版のクライマックス: 
エスメラルダを捉えたフロローは、牢屋で彼女に「自分のものになれば、フィーバスともども命を助ける」と迫ります。
その翌日人々が見守る中、エスメラルダが処刑台にくくりつけられ、フロローがそこで死刑の判決文を読み上げます。「悔い改めれば死刑は免れる」と言い、そして小声でエスメラルダに自分が言ったこと(自分のモノになれ)の返事を問います。彼女はフロローにつばを吐きかけると、怒ったフロローは、そばにいた死刑執行人から松明を取り上げ、自分で火刑用の薪に火をつけます(原作&フレンチ版では絞首刑ですが、アニメ版&四季版では焚刑)。
そこへカジモドが現れてエスメラルダを救い出し、大聖堂の塔にある自分の部屋に連れて行きます。しかし、エスメラルダははかなく死亡。その部屋にフロローがやってきます。

カジモドはエスメラルダの死を「お前のせいだ」とフロローを責め、フロローは「義務だったのだ」と答えます。

私は、ここで「お前」っていう言葉を使うのはちょっと早いなあ、と思っていました。日本語の「お前」って、親や目上の人間に使うのには相当キツイ言葉ですよね。

クライマックスの流れはこの辺りまではアニメ版も同じで、カジモドはここで英語では「You killed her」と言います。これをアニメの日本語版(音声・字幕)は「殺すなんて」「彼女を殺したな」と訳し、絶妙に「you」を翻訳することを避けています。アニメ版翻訳スタッフが、カジモドにここで「お前」と言わせることは少々きつすぎると感じたからではないでしょうか。

フロローが言い渡したのは、一応公的な判決です(原作では裁判の様子も描かれ、別の裁判官が死刑判決を下します)。しかも、フロローが言い渡しただけなのか、彼自身が一人で下した判決なのかさえわかりません。愛する女性に死刑判決を与えた相手を恨みたくなる気持ちはわかりますが、それだけの理由でカジモドがフロローを殺したとすれば、死刑判決を出した裁判官や死刑執行人を殺すのと同じですよね。つまり、死刑判決だけではフロローを殺す理由にはなりません。

ここから後のシーンはアニメにも原作にもない四季版オリジナルの流れで、カジモドとフロローの言い合いが続きます。

フロローは「それはその女が選んだ結末だ」「助けてやることもできたのに」と言います。これは、彼の罪の告白ではないですよね。少なくとも表面上、フロローが言っているのは「彼女は悔い改めるのを拒んだ」「彼女の魂を助けてやれなかった」ということだと言えます。

そんなフロローをカジモドは「邪悪なのはお前だ」「悪人は罰を受ける」と言って、フロローを塔の上から投げ落とします。ほとんどためらうことなく、悲しみを見せる言葉もなく・・・。このシーンの冒頭からずっと、カジモドは怒りや恨みをあらわにしたまま。エスメラルダが死んだ時点で、フロローが悪い奴であることがカジモドの中で確定している感じです。

観客としてはフロローの悪事を見てきているので、そこに大きな違和感があるわけではありません。でも、カジモド自身はいったい何を見たのでしょうか。カジモドはほぼずっと大聖堂内に閉じこもっています。フロローがエスメラルダを脅していたくだりは知りようがありませんし、彼女がいくら自分に優しくしてくれても、彼女が本当に罪を犯していないかどうか、カジモドにはほとんど何もわからないはずです。

・・・では、「死刑判決」以外で、カジモドがフロローを「邪悪だ」と言える出来事はあったでしょうか。

・・・そう、ここで前に書いた四季独自の「伏線」が重要になってくるわけですね!
フロローがフィーバスを刺し、その罪をエスメラルダになすりつけたこと。

怪我をしたフィーバスをエスメラルダが大聖堂に連れてきて、カジモドに介抱を頼みます。その時、フィーバスはカジモドに「フロローにやられた」と告げます。それは、フロローが悪事を働いたことをカジモドが知りうるたぶん唯一の出来事です(原作やフレンチ版で出てくる「フロロがカジモドに誘拐を命じる」とかはありません)。だからこそ四季版制作者は、多少流れに無理があってもこのシーンを入れる必要があったのででしょう。

しかし・・・。
「フロローにやられた」とフィーバスに言われても、カジモドは「本当に?」「どうして?」とその原因や成り行きを聞くこともしません。クライマックス・シーンでも、カジモドはフロローに問いただすこともしません。

カジモドにとって、フロローは正しい人だったはずです。しかも育ての親、血を分けた伯父、唯一の家族。そんな人が人を刺した。本当なのか、なぜなのか、あなたなら本人に問いませんか。

カジモドにとって重要なことのはずなのに、なぜこんなに軽くスルーしてるんだろう・・・。
・・・と考えて、ふと気が付きました。フロローに確認すれば、フロローは絶対「あいつらが嘘を言っているのだ」と反論するでしょう。カジモドはそれに対して言い返せるだけの確たる根拠が何もありません。カジモドはフィーバスたちの言葉でしか、フロローの悪行を知り得ていないのです。

例えばエスメラルダたちが、「ベルサイユのばら」のジャンヌのようなカップルだったとしたら。嘘八百で他人を簡単に騙すような輩なら、本当は悪いことしてフロローに追われて怪我したのに、さもフロローが悪い奴のように嘘をつくなど朝飯前ですよね。

カジモドにとっては言葉のみが判断材料なわけですから、好きな女性と育ててくれた人のどちらを信じるか・・・の違いでしょうか(そりゃあ惚れた女を信じたくなるのはわかるけど)。カジモド目線で見た場合、四季版ではかなり不確かな理由で彼はフロローを殺したと言えるかもしれません・・・(^^;)。

それに気が付いた時、四季版のカジモドがいきなりフロローを「お前」呼ばわりしていた理由に思い至りました。
カジモドにとってフロローを断罪できる明確な根拠はなく、クライマックスのシーンでもフロローが悪事を働いたことは立証されません。つまり、カジモドが冒頭から怒って殺意を抱くレベルでないと、カジモドがフロローを殺す流れにならないのですね。

まあ・・・四季版カジモドは客席でフロローの行動の一部始終を見てた、ということにしておきましょう!!




では、原作やフレンチ版では、この点はどう描かれていたのでしょうか。どちらも四季版と同じく、フロロは聖職者で、最後にはカジモドがフロロを殺します。

原作: カジモドは「聖域」である大聖堂の一室にエスメラルダをかくまいますが、カジモドが不在の隙に彼女はいなくなります。彼女は外に出れば追われる状況なので、自分から外へ出たとは考えられません。そして、その部屋に入る「赤門の鍵」を持っているのはフロロだけ。それに気づいたカジモドは、彼女を連れ出したのはフロロだと確信します。その前にフロロがカジモドにエスメラルダをさらうよう命じたことなどからも、エスメラルダの窮地がフロロの仕業であると思い至ります。そして、広場で処刑されたエスメラルダを大聖堂の塔の上から見て悪魔のような笑い声をあげるフロロ。それを見て、カジモドはフロロを塔の上から突き落とします。

原作でユゴーは、かなり 回りくどい方法で「赤門の鍵」の件を描いています。原作ではこれが、フロロの非道な行動をカジモドに確信させる重要な理由となっています。回りくどい方法でも、ユゴーにとってこれは外せない要素だったのですね。

一方フレンチ版では、フロロがカジモドに直接告白します。エスメラルダを死刑台に追いやったのは自分だと。なぜなら、彼女が自分を拒んだからだと。2時間半程度の舞台のフレンチ版では、さすがに「赤門の鍵」のくだりを入れる時間的余裕はなかったと思います。そして「赤門の鍵」を入れない場合、こうやって明確にフロロに告白させないと、カジモドがフロロの非道に気づくことができないという判断だからかもしれません。最後にフロロは、絞首刑となったエスメラルダを塔の上から見て高笑いをし、カジモドに突き落とされます。

原作もフレンチ版も、フロロの悪事をカジモドが確信する明確な根拠があります。さらにカジモドの目の前で、フロロはエスメラルダの死を見て高笑いします。カジモドがフロロを突き落としたくなったのも、理解できますよね。




実は四季版を見るまで、これらのシーンをじっくり比較して考えたことはありませんでした。

カジモドがどう行動したのか意識しながらじっくり読むと、原作のクライマックス・シーンは本当に素晴らしいです。フロロの悪事を確信したカジモドは、高笑いするフロロを塔の上から突き落としますが、最初フロロは雨どいに引っかかって、必死でなんとか登ろうともがきます。

その真上で、何も言わずに、ただ泣いているカジモド。ここでカジモドは一言も発しません。そして最後にフロロは力尽きて地上に落ちていきます。ユゴーの冷厳な眼差しと筆致に圧倒されていました。うーむ、さすが大文豪・・・。

フレンチ版でフロロが自分の罪を直接カジモドに告げるのは、フレンチ版スタッフが考え出したオリジナルのシーンだったわけですね(気づくのが遅い)。それをフロロが自分で言葉にするだけに狂気や哀しみが増し、カジモドの言葉に怒りとともに悲哀もこめられ、見ていて心に迫ってきます。




四季版で見たカジモドは、どこかかわいさのある、真っすぐなカジモドを体現してくれていました。
クライマックス・シーンで、フロローやカジモドの「哀しみ」を表現したものを見てみたかったなあ。


(4)神父と判事は似て非なるもの [←前] ◆
[次→] (6) 弟が示すフロローの道




四季版「ノートルダムの鐘」感想 (2017)

(1) 関連作品の概要
(2) カジモドの結婚
(3) エスメラルダとクロパンの火花な関係
(4) 神父と判事は似て非なるもの
(5) カジモドはなぜ「反逆」したのか
(6) 弟が示すフロローの道
(7) カジモドの名前の本当の意味
(8) 陽ざしの中へ


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Mew

Author : Mew

2013年来日公演したミュージカル
ノートルダム・ド・パリ」、及びフレンミュージカルを応援中!ノートルダムでオリジナル・グランゴワールを務めたブリュノ・ペルティエも熱く応援中!


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