ノートルダム・ド・パリ応援隊

We love Notre-Dame de Paris. We love French Musical.

 

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(6) ノートルダム凱旋公演観劇記 ~ キャストの感想 ~

ダニエル・ラヴォワ(フロロ)の演技についてはこちら⇒ (「フロロとカジモド」)でたっぷり語っていますので、どうぞご一読を。




彼以外のキャストについては、いつもと同様初見のキャスト中心です。
今回の凱旋公演はスタートから1週間はファーストキャスト・オンリー上演。そのため、私が見たのは全てファーストキャストです(未見のキャストは見てみたかったなあ)。全体的に見て、キャラクターのイメージにぴったりな王道派タイプの役者揃いという印象です。

Hiba Tawaji (エスメラルダ)
アルジェリア出身のタワジちゃんは、プロモーションの動画や写真で見ていても、エキゾチックな雰囲気たっぷりでしたが、舞台でもそのイメージ通り。演出家ジル・マウがこの作品で目指す「異国感」がとても強く感じられた気がします。そしてセクシーかつキュート。

カジモドが鞭打たれるシーンで、エスメラルダは彼に水を差しだします。クロパンに促されて歩み寄ろうとするも、タワジちゃんのエスメラルダは大きく躊躇し、クロパンの顔を見つめ、もう一度クロパンに促されてカジモドの前に進み出る・・・という流れ。

ここ、役者によってはほぼ何も躊躇せずに渡す場合もありますが、タワジちゃんはかなり戸惑っていました。ちょっと怖がっているというか。こういうところで役者によるエスメラルダの個性が出ますね。躊躇しない場合は女王様的な雰囲気が強まりますが、こういう演技だと等身大の感情が感じられて、より彼女に感情移入できました。



Jay (クロパン)
プロモーション動画などで見ている時には特に何も感じなかったのですが、実際に見てみて一番「良い~!」と印象が変わったのがジェイ。動きも歌もとてもよかったです。でも、どういう特徴があるんだろう・・・とずっと考えてみたけど、よくわかりませんでした。王道タイプ、っていうくらいかな。兄貴肌というよりは自分で戦う戦士タイプ。そして、瞳の奥に垣間見える絶望の色・・・どこか、もう俺たちに望む世界は手に入らないんじゃないかと思いつつ、でも、それでも戦うんだ、というような感じ。



Angelo Del Vecchio (カジモド)
「フロロとカジモド」のところでも書きましたが、アンジェロの演技も歌も素晴らしかったです。力強い、しっかりした歌声が彼の魅力ですね。アンジェロのカジモドは今回が初めて。(台湾でクロパン役では見ました。近藤勇みたいな兄貴タイプのクロパンが素敵で強く印象に残ってます♪)

実は私、彼が20代だと思ってなくて・・・(1991年生まれの26歳)。カジモドの実年齢に近いのですが(笑)、いい意味で若さを感じさせなかったです(素顔のお肌はツヤツヤしてますけどねw)。その背中にしょったカジモドの哀しみを迫るように訴えかけてくる歌声。
そしてフロロといる時にはワンコになっているカジモド(^^)。



Alyzée Lalande(フルール・ド・リス)
アリゼちゃんのリスも、やっぱり王道タイプだと思います♪ 最初は純情可憐、後半ではきりりとクール。
初代リスのジュリー・ゼナッティのように「R」の音を響かせるような歌い方ではないので(というか、ああいう歌い方をするのはジュリーだけかも・・・)、怨念のようなものは感じませんが、冷ややかにフェビュスを見下ろす視線がよかったです。

今回、衣装が変わって華やかさが加わり、可憐な雰囲気の時には可憐さが、2幕のクールな演技にも合う衣装でした。
でも、新衣装でもどうも下着感があるなーと思っていたら、今回もノースリーブなんですよね。当時の貴族の娘がノースリーブはないと思うんですけど、どうなんでしょう。



Martin Giroux(フェビュス)
ちょっと鳩胸?なフェビュスでした(太ってるとは思わないけど、胸周りがごつい印象が)。
そして、アジアツアーのイヴァンのフェビュスのように、真面目に悩むこともなかった(←当たり前なんですが、なぜか寂しい(笑))。そういう点で、彼も王道タイプのキャラ作りなのかなと思います。
ノートルダム公演が始まって様々な記事が流れてきたのを見ていると、良かったキャストの中に彼の名前も結構挙がってました!



Richard Charest (グランゴワール)
お布団シーン(変更点)等でもういろいろ書いてますが・・・Richardののびやかな歌声も素敵でした~♥

Thank you Julie Lagier for these photos ! (写真をクリックすると、Julie Lagier さんのFacebookページにジャンプします。他にもノートルダムの素敵な舞台裏写真を見ることができるので、ぜひどうぞ!)


さて、今回コッシアンテ先生をお見かけしたので質問させていただいたのですが、今でも日本語公演を考えておられるとのこと!(フランス語公演について突っ込んで聞かなかったので不明ですが・・・)日本語版公演、フランス語版公演、それぞれ日本で実現することを祈りましょう!

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(左から)リシャール・コッシアンテ(作曲)、リュック・プラモンドン(作詞)、ダニエル・ラヴォワ(フロロ)


「ノートルダム・ド・パリ」は永遠に不滅です!
日本語版、フランス語版が来ることをお待ちしています!

    ~ 「ノートルダム・ド・パリ」 2016年パリ凱旋公演観劇記 終わり ~



ノートルダム凱旋公演2016観劇記
(1) 凱旋公演に至るまで
(2) フロロとカジモド
(3) フロロの転換点
(4) 演出の変更点
(5) 写真
(6) キャストの感想





(5) ノートルダム凱旋公演観劇記 ~写真~


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この写真、とても好きです。
リシャールがノートルダムに参加した当時、彼はまだ駆け出しの頃で、インタビュー映像見ても、ちょっと頑張って突っ張ってる感じがあるんですよね(^^)。当時からリシャールはダニエルとは「同僚」になっていたわけですが、リシャールからすれば、ケベックでも既に有名歌手だったダニエルは、まだまだ雲の上の存在だったのではないでしょうか。

それから年月を経て、リシャールはノートルダムの最多出演記録を誇る歌手の一人となり、ダニエルと対等に「フィレンツェ」等を歌うようになったわけです。凱旋公演の舞台に一緒に立つことで、一番感慨深く思ったのは、リシャールだったのじゃないかと想像します。

そんなリシャールがカーテンコールのカテドラルを歌い終えた瞬間、大先輩のダニエルがリシャールには見えない後方で「いいね!」サインを出している・・・。彼に見せるためではなく、自然と彼の歌を讃えている。

リシャールの笑顔もとても自然で、彼ら自身がこの舞台で一体となって幸せな時間を過ごしているのだなと感じます。

Merci pour ces belles photos, pecheplate !!

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カテコでカテドラルを歌うリシャールが、耳に手をあて聴衆が歌うのを聞いています。今まで世界中で回った公演で、リシャールのこういう姿はあまり見なかったように思います。

グランゴワール役オリジナルキャストのブリュノ・ペルティエが、カテドラルを歌うたびにいつもそうするのですが、これは「歌わせたい」からではなく、「聞こえてくるから聞きたくなる」からやっているのですね。
母国語圏で上演することの喜び、ここにあり。フランス公演に参加できてよかったね、リシャール!!

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ノートルダム凱旋公演2016観劇記
(1) 凱旋公演に至るまで
(2) フロロとカジモド
(3) フロロの転換点
(4) 演出の変更点
(5) 写真
(6) キャストの感想




(4) ノートルダム凱旋公演観劇記 ~演出の変更点~

~変更点~

まずは、衣装が少しずつ変わりました。フロロの衣装が一番大きく変わっています(かっこよくなったー!)。直線的な印象が、冷徹な時のフロロにぴったりなんですよね。

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演出については、ノートルダムは初演からパリ凱旋公演以前まで、若干の修正や公演ごとの違いはあったものの、一貫してほぼ同じ演出でやってきました。

今回のパリ凱旋公演では演出が変わるという噂はありましたが、大きく違ったのは「愛の谷 Val d’amour」のシーンくらい。ちょこっとした修正は他にもありましたが、大まかに言って同じ演出プランと言えるんじゃないかと思います。

パリ凱旋公演はDVD発売が予定されていますので、ちゃんと知りたい方はそちらを待って、オリジナルと比べてみてくださいね。
以下は、あくまで私が見たものということで(順不同):

◆「愛の谷」:
・衣装:今回メインキャラクターの衣装も少しずつ変わっていますが、「愛の谷」の娼婦たちの衣装がかなり大きく変わっています。以前は、一瞬裸にも見えるヌードな肌色の生地を全身にまとい、そこに軽く縄を巻いたドキドキな衣装にハイヒールでした。それが今回は「ヌード」感をなくし、ひらひらしたスカート的なものをつけ、全体的に色合いのくすんだちょっとボロっとした(笑)印象のある衣装。靴はヒールのないぺたんこだったような気が。

・女性と男性の絡みが明確に
今までは、舞台奥のシルエットを除けば、娼婦たちは基本的に一人で踊っていることが多かったんです(もちろん多少男性たちと絡んだりはしていましたけど)。でも今回は、女性1 x 男性2 x ベッド1、が何組も登場し、ベッドの上に女性、ベッド両脇で男性がベッドを動かしつつ女性に絡む、というスタイルになっています。シルエットの例の動き(笑)はなくなっています。ベッドがあるだけに、娼婦たちが「お仕事」してます感アップ。

衣装も含めこの変更は、見てすぐにその意図はわかりました。以前の女性たちは、娼婦というより「踊り子」に近い印象だったんですよね(しかも高級そうな)。新しい演出のほうが場末の娼婦たちに近い気がします(グランゴワールがうろつくんだから高級な場所なワケがない(笑))。

ただ・・・衣装で言えば、踊り子っぽくても以前の衣装のほうがセクシィィィでドキドキ感満載だったし、スタイリッシュで美しかったですね。そして、このシーンのラストで、グランゴワールと踊り子一人がポーズを決めてフィニッシュ!というのは変わってないんです(ポーズもほぼ同じ)。そこは娼婦というより、まさしく踊り子という感じなので、少なくともその部分は前の衣装のほうが合ってると思いました。

あと、このシーンの音楽(バックの演奏部分)が少し変わってました。冒頭、低音でドドン!と来る感じがかなり減ってました。最初は「音響トラブル?」と思ったんですが(笑)、どうやら変更のようです。前の迫力たっぷりにドン!と入るのが好きだった+それが当たり前すぎて、若干物足りない感が・・・(^^;)。こう変わったんだから、と自分に言い聞かせて何回か聞いても、最後まで慣れませんでした。

◆ 「フェビュスという言葉」

エスメラルダとグランゴワールの「初夜」(でも結ばれない(笑))のシーン。二人の「布団」が以前はいかにも体育用マットだったのが、今回はいかにもお布団に変わりました。日本発注のお布団かな?というフカフカ感と柄。(こちらの記事にそのシーンの写真

前はマットだっただけに、アクロバットチームがでんぐりがえりとかもっとしてたと思うけど、今回はそういうのが減ったと思います。そう・・・日本のお布団は「踏んじゃダメ!」ってお母さんから怒られるからね!!

そして、二人の「お布団」という意味では柔らかそうで、よかったよかった(だって「マット」はやっぱり痛そうだよね~?(笑))

アジア公演では、アクロチームがヘッドスピンをするところで、グランゴワールが隣にいるエスメラルダに「ほら、見て見て!」というしぐさをするものの、エスメラルダは全然別のところを見ている、という残念な感じでした。それが今回、二人で一緒に眺める形になっていて・・・よかったなあグランゴワール!!

しかし逆のことも。グランゴワールは懸命にエスメラルダをくどこうとし、手をにぎっているのですが、今回エスメラルダが立って向こうへ行こうとしても、手が離れないよう最後まで体を伸ばしていたグランゴワール。グランゴワールの残念感アップ。

最後にはあきらめてお布団をくるくる巻き、後ろを振り返りながら布団を抱えて去っていくリシャールのグランゴワールは変わっていませんでした(以上、グランゴワールのお布団シーンレポートでした←必須)。

◆ 「アナンケ」

初演版DVDでは「アナルキア」だったこの言葉は、「アナンケ」に変わっていますが、今回の公演ではさらに、「アナンケ」の文字が横書きから縦書きに変わりました。(アナルキアからアナンケへの変更詳細

なぜなんでしょうね・・・? ギリシャ文字って縦書きなんですか・・・?
・・・・謎。誰か教えてください(誰か生き字引のリシャール先生に聞いてください)

◆ 「リューン(月)」

暗闇でグランゴワールが厳かに歌い上げ、その頭上に輝く三日月・・・というのが元からの演出。
今回、その暗闇に「エスメラルダをお姫様だっこするカジモド」や「舞台奥の石の壁にある四角い部屋にいるカジモドとエスメラルダ」が出てきます。

◆ 「アヴェ・マリア」

夜の大聖堂でエスメラルダが祈りを捧げるシーン。舞台奥の石の壁の窓からフロロが顔を見せ、エスメラルダを苦しそうにせつなそうに見つめます。フロロの前にはろうそくも置かれていて、効果的。



◆ 「影」

フェビュスが一人で夜道を歩いていると、後ろからついてきた男(つまりフロロ)の影が不気味にフェビュスに語りかけるシーン。
以前はフロロ役者が舞台奥に立ち、その後方に光源が置かれ、フェビュスとの間にある薄いスクリーンに巨大な影が映し出されるという演出でした。

今回も、スクリーンに影が映し出されるのは同じですが、フロロ役者の姿は見えなくなり、スクリーンに映る影も複数になりました。(声はフロロの声のまま同じなので、フロロとわかるわけですが)。

◆ 「道化の法王」

カジモドの冠は公演ごとに変わっていると思いますが(←お布団シーンのようなチェック必須項目ではないので、イマイチ記憶にない・・・すまんカジモド)、今回はちょっと大ぶりな銀色の冠でした。銀紙を貼った感じで、チープ感のあるピカピカした銀色。

◆ 「彼女はどこだ」

初演では、舞台手前の階段にフロロ、グランゴワール、クロパンが座っていますが、既にアジア公演から三人は座ることなく立ったまま歌っています。

しかし、アジア公演でも初演同様、フロロが歌いだすところから始まっていたと思うのですが、今回、その直前にグランゴワールがクロパンに話しかけてやめる仕草が入りました(←前はそういうのはなかったと思うのですが・・・)。

今までの、つまり初演版DVDの流れでは、三人は同じ場所にいるようでいて、実はそれが曖昧な抽象的な印象がありました。
最初はフロロとグランゴワールの会話、次にクロパンが歌ってそこにグランゴワールがフロロに悟られないようこっそりクロパンに話しかけて、エスメラルダの居場所を伝えるという感じでした。

でも、舞台上では同じ場所にいても、演劇においては場所は別物と捉えることができる特性があります。だから、フロロとグランゴワール、グランゴワールとクロパンは、それぞれ別の場所での会話だったと捉えることができたのです。気持だけは三人ともエスメラルダを心配しているという点で共通している、それをラストで三人が歌い上げる・・・というような。

今回は、最初からグランゴワールがクロパンにそれを伝えようとし、でもフロロが来たからやめた、という感じになっています。確かに視覚上の理屈に合っていてわかりやすいかもしれませんが、しかしこの演出だと、明確に三人が同じ場所にいることになってしまうんですよね。

クロパンがフロロと同じ所に来てしゃべるかなあ・・・?
しかも、フロロが真隣にいる状態で、エスメラルダの居場所を話すかなあ・・・?

・・・と、逆に突っ込みたくなったというか、悩んでました(笑)。


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   → 次  ノートルダム凱旋公演観劇記 (5) 「写真」



ノートルダム凱旋公演2016観劇記
(1) 凱旋公演に至るまで
(2) フロロとカジモド
(3) フロロの転換点
(4) 演出の変更点
(5) 写真
(6) キャストの感想


(3) ノートルダム凱旋公演観劇記 ~フロロの転換点~

ノートルダムは長い間演出の大きな変更なくやってきていますが、比較的早い段階で2幕の曲順が一部変わっています(→参照「曲順変更」))。
初演版DVDでは、エスメラルダとフロロが登場する「La torture 拷問」のシーンの次にはエスメラルダが歌う「フェビュス」だったのですが、曲順変更で、「拷問」のすぐ後にフロロが歌う「Etre prêtre et aimer une femme 神父でいること 女を愛すること」になっています。つまり、フロロが続けて登場する形になりました。

この「拷問」の時の冷酷なフロロと、「神父でいること・・・」の内面をさらけ出したフロロとは、表現するものにかなり隔たりがあります。

2013年日本公演の初日、深く考えずにこのシーンを見たのですが、その時のフロロ役者は「拷問」の歌の後、舞台の少々奥側の端っこに行き、着ていた上着をばばっと大慌てで脱ぎ、やや舞台袖のほうに投げつけ、それから舞台中央のほうに来て「神父でいること・・・」の歌に入りました。

そうか!フロロの歌が2曲つながったから、お着換えの時間がないのね!
この「上着脱ぎ」シーン、本当なら舞台裏でやりたかったのだろうけど、時間がないからここでやるけどごめんね見なかったことにしてね上着は邪魔だからあっち側に投げとくけどスタッフ後で回収してね、という感じがあるんです(笑)。それまで朗々と歌っていたフロロ役者のあせった素顔が見える気がして、妙に萌えていた私(笑)。

凱旋公演でこのシーンに差しかかった時それを思い出して、ダニエルのあせった姿が見られるんだわ♪ と、ちょっぴり楽しみにしてました(←変なファン)。

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パリ凱旋公演カーテンコール

しかし・・・

ダニエルのフロロは「拷問」のシーンが終わった後、下手の舞台袖ぎりぎりまでゆっくりと歩き、おもむろに上着を脱ぎ、その脱いだ上着をほんの少し右手でゆっくり持ち上げた後、忌々しそうに自分の足元に叩きつけました。そして、次の「神父でいること」を歌い始めたのです。

・・・・え・・・・??

・・・全然あせってない・・・????

曲の間の時間は、ほとんど変わっていないはずです(私はそう思ってます)。フロロの動きや演出も、基本的に同じです(フロロが舞台手前の見えやすい位置にいたのが違いますが)。しかも、パリの舞台は私が見た日本や台湾の舞台より、かなり横幅が広いんです。なのに、あせった感がないどころか、歩くスピードも動きも「ゆっくり」なのに余裕があって、しかもきちんと演技ができてるんです。

もう狐につままれた感(^^;)。フロロの行動、つまり演出は特に変わってないんです。今回衣装が変わっているので、上着を脱ぐのにかかる時間が違うのかなとも思いましたが、今までの衣装でも、脱ぐこと自体にさほど手間取った印象もないし・・・。私のお楽しみ萌えポイントはどこへ行ったんだダニエル!!・・・と思いながら、毎回この部分を食い入るように見つめましたが(笑)、なぜダニエルにはこんなに余裕があるのかわからなかった・・・。

さて、このシーン。
ちょっとどうでもいいことに気を取られて最初気が付かなかったのですが、ダニエル版は、ここがとても重要な意味を持ってるんですね。

「拷問」のシーンでは、フロロは冷酷にエスメラルダを拷問するよう命じ、尋問します。この時のダニエルの声が、地獄の闇のような低~~い感じ(音程が変わってるわけではないですが)。衣装は黒いフードの内側が赤く、威厳と怖さをアップさせています。



そして、「上着脱ぎ」のシーン。フロロは舞台端でゆっくり上着を脱いで、それを床に投げつけます。ここで一瞬見せる忌々しそうな、やるせない表情のフロロ。

ああ、そうか・・・!
ここは、「外側」に対して見せる冷たいフロロから、「内側」の悩めるフロロに変わる転換点なんだ・・・!
あの上着を着ているかどうかがフロロのどの部分を表現するかの違いになっているのですが、その切り替わる瞬間を、ダニエルは見事に表現していました。

それまで私が見た公演では、脱いだ後の上着は進行上邪魔だからあっちへ投げ捨てていた感じでした。それがダニエルの演技だと、上着が「本来の自分ではない姿」の象徴という意味を帯びてくるんですよね。

ほんのわずかな演技ですが、これが入るのと入らないのとでは、その後のシーンに大きな違いをもたらします。

今までの舞台でも、フロロは過去の清廉な自分を思い返して今の自分のつらさを言葉で語っています。でも、外面の冷酷さと内面の悩みと、「今」の自分の違いについて特に表現している部分はありませんでした。それが、このやるせなさげに上着を投げつける演技で、「自分の行動が意に沿わぬもの」だというつらさが垣間見えてくるんですよね。

そうすると、エスメラルダを拷問にかけているのも、最後には彼女を死に追いやるのも、間違いなく彼が選んだ行動ではあるにせよ、「突き動かされてやってしまった」感じが強まってくるんです。ラストでフロロの「自分の犯す罪を進行形で見ている」哀しさを感じたのも、こういう演技の積み重ねがあったからかもしれません。

単なる場面転換に過ぎなかったシーンが、演技一つでこんなに深い意味を持ったシーンになりえるんですね・・・!

もしかしたら演出の意図が変わったのかもしれませんが、今までと行動そのものはほとんど何も変わっていないことを考えれば、ダニエルが提案したのかもしれないし、ダニエルがいたからこその演出であると言えるでしょう。

そして「神父でいること 女を愛すること」の歌に入ります。
神父である自分が、それまで自身を律してきた自分が、あろうことか女を愛してしまった・・・。その聖職者ゆえの苦しみ。
冷徹さを見せているフロロの時は、ダニエルの演技は「ビシッ」という言葉がぴったりな鋭い視線と動きに徹していますが、この歌や一幕の「Tu vas me détruire お前は私を破滅させる」などの内面をさらけ出す歌になると、足取りもふらついて定まらず、時に目を見開き、視線も哀しげに彷徨うダニエルのフロロ。

今回、この「神父でいること」の歌で、実は泣いてしまいました・・・。
この歌、フロロのつらさを良く表現した素敵な歌ですが、それまで泣いたことはありませんでした。しかしこの時は、フロロの苦しさ、悲しさがダニエルの歌の表現でものすごく迫って感じられたのだと思います。感動的な「ジュテーーム!」とかならともかく、この歌で泣かせられるとは・・・。

舞台が終わって友達と「よかったねー!」と話していた時に、特にダニエルファンでない人からも、この歌がよかった、この歌で泣いたと、一様にほぼ開口一番で言っていたので、やはりこの日の一番の感動どころだったのでしょうね。

もちろん「ジュテーーーーーーーームッ!」は大変感動的だったし(←必聴!!)、「お前は私を破滅させる」も素晴らしかったです。(←フロロ代表曲2曲をさっくり1文で終わらせる私をお許しください)


ダニエルが凱旋公演のフロロ役としてアナウンスされた時、やはり伝説のオリジナル・キャストのカムバックということでとても嬉しかったのですが・・・生で見てみて、オリキャスだとかそんなことは正直どうでもよかったです。ただただ、今の彼の歌が、演技が素晴らしかった。

フランス公演は2017年末まで続き、ダニエルも出演する予定です。このツアーを離れれば、年齢的にも「次」はもうないかもしれないので、今のこの千載一遇のチャンスを逃さないよう、生のダニエル・フロロの感動をぜひ味わって来てください!大陸を超えるだけの価値はありますよ♪


エスメラルダとフロロ。この眼力を見よ

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パリ凱旋公演カーテンコール


   → 次  ノートルダム凱旋公演観劇記 (4)「 演出の変更点」



ノートルダム凱旋公演2016観劇記
(1) 凱旋公演に至るまで
(2) フロロとカジモド
(3) フロロの転換点
(4) 演出の変更点
(5) 写真
(6) キャストの感想


(2) ノートルダム凱旋公演観劇記 ~フロロとカジモド~


*注:ストーリーのネタばれ100%*
*いつも書いてますが、役者については「みんな違って、みんないい(by 金子みすず)」ということで。


さて舞台は進行し、ノートルダムの副司教フロロ Frollo の登場のシーン。
ダニエル・ラヴォワのフロロが顔を見せて舞台奥から登場すると、客席から沸き起こる拍手!!!

ノートルダムでそんなことが起こるのはなかなか珍しい・・・。
それだけダニエルのフロロは愛されてきたということなのでしょう。

フレンチミュージカルのフロロは原作とは少しキャラ設定が違います。原作ではあくまで教会の神父という立場だけですが、ミュージカルではここに、パリの街に不審者がいれば取り締まり、さらには裁判で判決を下す役割も担います。救いの場所を求めるサンパピエ(浮浪者たち)を高圧的に追い払い、最後にはエスメラルダに絞首刑を言い渡すのもフロロです。つまり、原作の側面も保ちつつ、原作からでは導き出せない解釈も加えなくてはダメなのですよね(これはクロパンやグランゴワールも同じ)。

ミュージカルで加味されたフロロの人物像は行動が冷酷なのですが、ダニエルはまさにこの部分を深く汲み取った冷厳な演技。ビシッとした鋭い動きや歩き方、その視線から冷徹さや高圧的な威厳が伝わってきます。

一方、原作と同様に神父であるのに女性を愛してしまった苦しみを表現するシーンでは、どうすればわからず心が彷徨っている様子がありありとダニエルの体に映し出されていました。その苦しみがその表情からダイレクトにこちらに伝わってきていました。


大きく印象に残っているのが、「捨て子 L'enfant trouvé」のシーン。
親に見捨てられたカジモドが、拾い育ててくれたフロロへの愛情と忠実な心を語ります。



ここでカジモドの歌詞;
あなたは僕に読み書きを教えてくれた
でも、あなたの心は読めないよ・・・


カジモドはとにかくフロロが好きなのですよね。そんなカジモドはフロロの心を懸命に読もうとしているはず。それでもわからないフロロの心。ダニエルのフロロはここで直立して冷厳さを保ったまま、カジモドの言葉に反応を示すことはありません。そう、ぴしゃっと心を閉ざしてカジモドに心を読ませないのです。その演技が歌詞とぴったりマッチして、ものすごく心に残りました。

そして、立ったフロロの隣でひざまずいているカジモドの顔の前あたりに、フロロが突然ビシっと直線的に手を動かします。私、そんなに前のほうの席にいたわけじゃないのに、このフロロの手の動きにものすごくビクーッ!ドキーッ!としました(^^:)。手の動きだけで、心に突き刺さる迫力がありました。次の日にしっかり見ていたら、カジモドも私と同じようにビクッとなっていて、「うんうん、わかるわかる」って(笑)。

そしてフロロは、そのカジモドの顔の前にやった手を、今度はおもむろにカジモドの頭上に移動させます。掌は下に向いたまま。カジモドは自分の頭を頭上にあるフロロの掌にすっと寄せて、髪の毛ですりすりします。嬉しそうな顔。
・・・まるでワンコみたい・・・(笑)

・・・と思っていたら、カジモドの歌詞はこう続きます:

僕の存在すべてあなたのものだ
犬が主人に逆らうことなどないように


ああ、そうだ・・・!確かに歌詞ではまさしくワンコ・・・!!

このスリスリする時のカジモド役アンジェロ・デル・ヴェッキオの表情に、フロロに対する全幅の信頼と愛情がうまく表現されていました。そして、カジモドの頭上に置いたフロロの手・・・これは先ほどとは逆に、冷徹なフロロにもカジモドを慈しむ心があるのだということを瞬時に感じさせる表現になっているのですよね。だって、フロロはカジモドを拾って育てたのですから。

短いシーンなんですけど、ダニエルとアンジェロが作り上げた演技は、二人の関係性を端的に、そしてわかりやすく伝えていました。特に歌詞にぴしゃーっとハマっているのが解釈の深さを感じさせ、後から思い出してもじわじわ感動させてくれます。





そして、実はこのシーンはクライマックス・シーンへとつながっていきます。

「捨て子」の歌の中では「僕はあなたのものだ」と言っていたカジモドが、ラストで彼は主人であるフロロに逆らいます。カジモドが、哀しくも人生で初めて自立した瞬間とも言えるでしょう。

今回の二人は、そのクライマックスも秀逸でした。
「Mon maître, mon sauveur  僕の主人、僕の救世主」。エスメラルダが処刑されるシーン。大聖堂の高みからそれを見ているフロロ、そしてカジモド。


カジモド: あなたには心があった・・・| フロロ: 心・・・
カジモド: 愛することができる心 | フロロ: 泣くことができる心
カジモド: 血を流すことができる心 | フロロ: 殺すことができる心・・・


「泣くことができる心」という歌詞のところでダニエルのフロロは、壁に自身の前面から身を叩きつけ、とても苦しそうな表情を見せます。それは泣き叫んでいるかのよう。

今までの私の解釈は、「泣くことができる心」と言いつつ、この時のフロロにとって泣くという行為は既にどこか空虚で別世界のような感情という感覚がありました。しかし、この時のダニエルのフロロは、泣いていた。苦しみを叫んでいた・・・。

「殺すことができる心」と叫ぶように歌った後フロロは、エスメラルダの処刑は自分が導いたのだとカジモドに告げます。そしてエスメラルダの体は宙に吊り上げられ、それを見ながらフロロは「お前のエスメラルダは昇る朝日の中で吊るされるのだ」と語って、大きく高笑いをして去っていきます。

凱旋公演を見るまで思ってきたのは、この時のフロロは、自分を拒んだエスメラルダに対して「ざまあみろ」という気持ちや、あるいはエスメラルダがいなくなって苦しみから解放されるという喜びを感じているだろう・・・と漠然と思ってきました。

でも、この日のフロロは違いました。彼は、今まさに自分が罪を犯している瞬間を見つめている、その罪を眼前に突き付けられている・・・。「なんということをしてしまっているのか」と進行形で感じている一方で、もうそんな自分を止めることもできない・・・。最後の高笑いは、深い闇に堕ちていくフロロの哀しい狂気でした。


エスメラルダの処刑は自分がやったことだとフロロから告げられたカジモドは、「あなたがやったのか!」と言います。
これも今までとは感じ方が異なりました。今までは、愛するエスメラルダを死に追いやったフロロに対して、責めていると感じてきました。でも、ダニエルの演技に呼応していたのかもしれませんが、アンジェロのカジモドは、責めているというよりも一緒に嘆いていました。自分の子から罪を犯したと告げられた親は、それを責めるより嘆きますよね。「どうしてそんなことを・・・」と。

高笑いをして去ったフロロの後を追い、カジモドはフロロを大聖堂の上から突き落とします。
今まで、カジモドはフロロが憎くて突き落としたのだと思ってきました。でも、この日の数々の細かな演技の積み上げで感じたのは、カジモドはフロロをこの先ずっと続くであろう苦しみから解放し、救うために突き落としたのではないかということ・・・。

このシーンはカジモドの「自立した瞬間」だと書きました。フロロという存在から脱却し、その彼を怒りで殺したのだ・・・と思ってきました。でも・・・自立したからこそカジモドは、恩師を解放させる道を選べたのかもしれません・・・。


見終わってから、「私は今までノートルダムの何を見てきたのだろう・・・」と思いました。
なんだか、初めて見たかのような感動・・・。思い出すたび「ほうっ・・・」となる恍惚感・・・。


何度も何度もこれらのシーンを脳内で反芻しながら、ダニエルのフロロ像の奥の深さ、解釈の深さをしみじみと感じていました。
帰国してからいくつか目を通した記事で、やはり彼の解釈の深さについて書かれたものをいくつか見かけて「うん、そうそう!」と反応していると、やはり同様に「でしょー!」と言ってくる人もいて(笑)、私だけがそう感じているのではないのだと思いました。

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パリ凱旋公演カーテンコール


初めてノートルダムをVHSビデオ(←時代だなw)で見てから、はや16年・・・。
あの時の「フランス語いっこもわからん!」という状態から、七転八倒しつつフランス語を続けてきましたが、やってきてよかった・・・。歌詞や訳の記憶ではなく、言葉をダイレクトに理解しながら、それにぴったりしたものを実感しながら味わう喜び。

ああ、私はここにたどり着くために、これまでやってきたんだ・・・


ダニエルの演技は回によって少しずつ違い、印象もそれに合わせて変わりました。
2017年には凱旋公演のDVDが出る予定ですが、どんなものになるのか見るのが楽しみです。


パリ凱旋公演カーテンコール「カテドラルの時代」


   → 次 ノートルダム凱旋公演観劇記 (3) 「フロロの転換点」



ノートルダム凱旋公演2016観劇記
(1) 凱旋公演に至るまで
(2) フロロとカジモド
(3) フロロの転換点
(4) 演出の変更点
(5) 写真
(6) キャストの感想


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Mew

Author : Mew

2013年来日公演したミュージカル
ノートルダム・ド・パリ」、及びフレンミュージカルを応援中!ノートルダムでオリジナル・グランゴワールを務めたブリュノ・ペルティエも熱く応援中!


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